最後は何を書けばいいのだろう。
三途の川を渡ったレポート書きたいがそれは戻ってこれた時、
普通は戻ってこれないので想像の世界になる、
実際はどんな所なのか、それが分かれば・・・・

さてタクシー乗務員も60歳目前で退職、
目は悪くないのだが耳のほうがやや難聴気味で、お客さんの言う事が聞き取りにくいため、
それに勤務の日は朝から深夜まで走っていると必ずどこかで交通事故現場に行き会う、
他人事ではない、自分も運が悪ければ大事故に遭う可能性は否定できない、
もう潮時だと思い辞めたのだ。


ハローワークに行った、解雇になっているので他のタクシー会社を紹介された、
拒否する場合は理由を言わなければならない、
近くの小企業で求人があったのでそこへ面接に行った、
製品の塗装作業である、親戚に反対されたので、
ハローワークには「シンナーの臭いがきついので駄目だ」と言った、
そしてもっと近くにあるビル建設工事の材料販売会社で働くことにした。


小企業の従業員になるのは初めてではないが長い間、大企業ばかりだったので、
その対応にはなじめない、まず困ったのは健康保険、
「就職した」と役所に申告したら健康保険証は無くなった。

にもかかわらず小企業は保険証の手続きをしない、
健康保険証無し、なんて不安でしょうがない、
仕事は過酷、建築現場へ建築材料をトラックで運ぶのだ、
そして重い材料を時には高所まで階段を登り、体力も限界、
福岡市内を地図を片手に日に4回ぐらい往復、これでいいのかと、
ついにしびれをきらし、社会保険事務所に訴えた。


翌日、出勤したら、
「なぜ会社の事務所に先に言わないで社会保険事務所に直接いったのか」と、
やさしかった社長の奥さんの態度も悪化、ますます居心地が悪くなったが我慢した、
辞めたら雇用保険が貰えなくなるからだ。

約1ヵ月後、足が痛くなったのを機会に辞職を申し入れた、
社長は当然、怒りくるった。
「おまえに会社のなかをカキ回された」と、
企業の側から見れば「とんでもないやつだ」の部類に入るのだろう。
大企業なら入社と同時に社会保険の手続きをしてくれる、だが
小企業ではそうではないのを始めて知った、貴重な社会経験。


輝やかしき波乱万丈の我が人生遍歴はまだ続く、
何があったとて地球の長がーい歴史にくらべたら、
我々の24時間も2億4千万時間も一瞬の間であることに変わりはない。
人生50年が80年に延びたところで過ぎ去ってみれば、
軒から落ちる雨だれが地に着くまでの2分の1秒ほどの人生と言えなくもない。


来世とは、我々が現存している宇宙と別な宇宙が存在して、
そこではたくさんの親族に会える、しかも、
やがて確実にやって来る現宇宙の家族とも会える、
なんと嬉しいではないか、すべて別れた時と同じ年齢で・・・・・・・・・・・・・・・・・・


建築材料運搬の会社を辞めて、こりもせず、
またビル建設内装工事の小企業に勤めることになった、
この業界は慢性的な人手不足、
タクシーと違って相手は品物、運搬中も気が楽だし、売り上げを気にしなくていい。
今度は正式な就業ではないし、退職者健康保険証は所持したまま。


10階以上のマンションも工事中でエレベーター無しだから、
数回上がり下だりすると息が切れる、
昼食は弁当屋が来るけど近くの中華レストランに行って、
豚骨ラーメンと餃子を注文して満腹、
夕方帰途に着く、年末で道路は渋滞いや停滞、朝もそうだが全くうんざりする。
「やはり海の上はいいなあ」と以前の仕事が恋しくなった。

その仕事も3ヶ月ほどで辞めて、地区のシルバー人材センターに登録、
設立したばかりの所、張り切って何でもやった、
多種多様な仕事内容で結構楽しめる、
タクシーに乗っていたので比較的、地理に明るいため、
車の運転を主にやった、最初の頃だけだったがリーダー的存在だった。

が、理想と現実の違いは付いてまわる、
タクシーでも「よし日本一の運転手になろう」と
意気込んだが、むしろその逆の結果に終わった。

シルバーにおいても然り、最初はよくやったが、やがて評価は下がる一方、
ゴルフ場の浴場で脱衣室の管理の仕事をやったのだが、
座っているだけの楽すぎることに抵抗を感じ他の仕事をやらしてくれと降りた、
あれも嫌これも嫌となり結局、

決定的にシルバーセンターから見放されたのは役所の仕事、
職員が外出の際、使用する公用車の管理業務、
ネクタイをして公務員になった気分、文句ない環境のはずなのだが
1年勤めて辞退、なぜ続けられないのか、理由を述べると。

なんといっても原因は自分の過去の職業にある、
なかば自由奔放、じっとしていられない
いうなれば落着きが無い、日がな座っているのは性に合わない、
さらに困るのは外出する人に行く先など聞いて帳簿に付けるのだが、
難聴で聞き取りにくい、それは解消しようと努力した、
具体的に言えば20万円もする補聴器を買ったのだ、
でもあれは必要ない音まで容赦なく入ってくる、
話し声だけ聞こえればいいのに他の雑音で頭が痛くなる、めまいがする。

めまいなど初めてのことなので救急車を呼び徳州会病院に運んでもらって脳内検査した、
幸い脳の血管に異常なく、メニエルだろうということで耳鼻科にまわされ、
薬を貰って帰って来たが、こんなことではと潔く辞めた、
と言えば格好いいが早く言えば完璧な落後者。

65歳にして労働社会から事実上脱落、
60歳から始めた油絵に生き甲斐を求め現在に至る。
悠々自適と人は言うが趣味に於いても望みは後世に残るような絵を描くのだと意気込む、
全くどうしようもないうつけ者。

だが夢を持つのは悪くない、持たないよりマシ、結局は
自分なりの幼稚な絵であっても気楽に満足するか、
出来もしないのに最高のものに挑戦して苦しむか、どちらかだが私は後者を選ぶ。

技術的には到底他の人に追いつけないので、構成の斬新さに重点を置き、
従来の画家が手がけていない全く新しいものを目標に、
日々研鑽を積み願わくば目的を達成したい 


3月はじめに今年の福岡市美術展が開催される、
福岡市周辺地域在住の住民が対象だ。
過去、昨年まで3回続けて入選、有り難い事だがしかし、
自己評価ではとても満足できる作品ではない、
眼前の目標は何らかの入賞、それで階段をひとつ上がったことになる。

2月はじめに作品を美術館に搬入、そして審査が始まる。
私の作品は既に市美術館に搬入、前文で申し上げたとおり、
既存の画風に独自のものを積み上げ油絵に新機軸を試みたい、
もちろん簡単にはいかない、
試行錯誤の果て今回は書と絵画の融合を目指した、ただし
絵の方を優先したため書は無理にはめ込んだ形になり
しかも3原色を多用した為、どぎつい感じになり凝視するのは敬遠されそうだ。

次回は書を優先し、それにふさわしい絵を加え自他共に評価できるものにするつもりです。
今回の作品、審査発表前に、このホームページで公表しています。
審査について入賞は期待できないし落選もありうるから此の企画の勝負は来年です。

私の主張する新機軸には異論があると思うので補足説明いたします。
江戸時代から字を絵に変えてしまう軽妙な戯れのものはあります、
中国など古代から絵と文は同居しておりました、
ゆえに私のも大同小異ではないかの声が聞こえます。

でも私のは明らかに違います、先に述べますが私は絵も書もアマチュアの域を出ません、
特に書は小学校で習ったかなという程度であります、しかし私が言う書と絵との融合、
すなわち新機軸とは本格的な油絵の形に本格的と見える書とを同居させ、
しかも両立させる事なので前人未踏だと思う次第です、
私の知るかぎり、このようなものは
見たことが無い、
立派な油絵に大きな字はない、ぶちこわしだから。


書の方はご承知の通り紙に書くので油絵の具を紙に乗せるのは無理、
くどいようですが以上の理由で自分の信ずるものに向け頑張ります。


今日(2007 03 13)の新聞を見て驚愕しました、崖から転落した感じです、何故ならば
現代で超一流の洋画家、輝く経歴の持ち主、絹谷幸二の作品が掲載されていて、なんと
「漆黒の自画像」に本式ではないにしろ書が入っているではないか、
私の目指すものと多少の違いはあれ今度私が発表しても大先生の二番煎じ、
模倣になってしまう。

しかし考えようによっては私も大先生も同じ構想を持っていたのであれば、
誇りを持って書と油絵、両立に向けて前進すればそれでよい。
 

                                             
壮年から老年へ

おわりです   現在の日常はブログの
          「絵と写真」へどうぞ