その1      外地から国内へ

帰国の時期が迫りました、さして広くない湾の中心に岩礁が聳え、
その周辺は水深100mを越す。水面から20メートル潜水すると巨船の
マストの先端を望むことが出来るが放置するしかない。

宿舎の対岸の原住民居住区の隣は、かつて零戦が離着陸した飛行場がある、
滑走路の先端には低い火山の火口があって斜面の海岸に温泉が湧き出ている、
そこで「いい湯だな」と鼻歌まじりで楽しんだが何も知らないということはのんきなもの、
帰国して何年か経ち新聞の記事を見て驚いた。

思いもよらずあの火山が噴火しラバウル市街は数メートルの火山灰に埋もれたという、
その後、復興したか気がかりだ半径数キロは人の住めない状態になったであろう。
あの噴火は周辺海域で祖国のため犠牲になった日本軍将兵の怨念が
マグマとなって噴出したと考えるのは荒唐無稽だろうか。



帰国後は大阪で廃船になった大型船舶の解体作業に従事した、
荒っぽい仕事である、接岸した船舶の上部から
クレーンで吊り上げられるほどに切断した部分を陸揚げし逆さまに回転させる
大きな物体が地響きを立て土埃を巻き上げる、
壮観だ胸がすく、毎日が鉄板との戦いで自然に筋骨逞しい若者になった。

南国での娯楽に恵まれなかった時の反動で酒と女に明け暮れる毎日、
酒を飲んだら底なし、世の中の女はすべて意のまま、
衆人環視の中で酔っ払いと喧嘩もしたし怖いものなし、
すさんだ生活が続き、やがて自分は生きているのだろうかと疑いが生まれ、
天涯孤独を感じるようになった。

大阪を離れ名古屋へ移って再び潜水士の仕事に就いた、
埋め立て工事の仕事である、当時は全国の港湾で埋め立てラッシュ、
数えればきりが無い、規模の大きさで言えば堺の沖、木更津、
鹿児島喜入などがある、

堺ではトヨタ初期の大衆車パブリカを買って乗り回した、
毎日朝飯前にドライブ、1年以上も無免許で平気だった、
今なら大変なことだが酒気帯び運転もあったしゴミ箱にぶっつけて弁償したこともあった。

警察官に止められ免許証提示を求められたのは
免許を取ったすぐあと、我ながら運のいいやつ!

最大の幸運は博多那の津埋め立て工事の時に現在の奥様に巡り会えたことである、
私は既に35歳、子供連れの相手を探さなければいけないと
思っていた矢先に11歳も年下の看護婦さんと結婚に漕ぎ着け、
更に幸運なのは月のものが1回だけで妊娠し長男が生まれた、

可愛いことこの上なく目鼻立ちも人並み以上、
1年置いて長女誕生、人生最良の時期を堺で過ごした、
春は遊園地や公園にドライブ、桜が綺麗で印象に残った。

私生活は順調そのものだったが会社が倒産、佐伯建設に入社、
浚渫船の乗組員として極寒の新潟へ単身赴任となる、

その後、香川県坂出で長期の埋め立て工事があったり、
そう長男が1年生のとき現在の福岡市郊外に土地を買い、
家を建て此処を永住の地にした。


居を定めて数年は九州各県に仕事に応じて単身赴任し、
週末や月末に家族の待つ福岡に帰宅した。

最初の1年程は沖縄で再々帰宅は無理だったが飛行機なら、
1時間ぐらいなので遠い所とは感じなかった。

戦後の港湾掃海作業、外地まで行ってその工事を成し遂げた、
時には3日も寝ずに文句も言わず続いて各港湾の埋め立て工事、
国土拡張は産業振興の基本と言える。
実際に私のやった事は社会の底辺の肉体労働者だが、
しかし当時の我々の活躍なくして廃墟から奇跡のように
起ちあがったあの急速な日本の産業復興発展はあり得ない。


   青年から壮年へ    その2     海から陸へ

ここで自分自身の大転換が起きる、埋め立て工事も少なくなり、
私も人員整理の対象になった。
大洋を航海する船の乗組員ではないが海と共に暮らしてきた我が身が、
なんとタクシー運転手に。

ご多分に洩れず車は好きだったし運転の自信はあったが、
陸に上がった河童というか福岡の地理に全く詳しくない、
まずは地理を覚えなくてはと空車でそこらを走り回った、

「お客さんを乗せるには道路の端を走らなければいけないよ」と,
同僚に注意された、まさにその通り、

さてお客さんを乗せたら、「どちらに行かれますか」とは運転手の正常な質問だが,
そのあと「道を教えてください」と聞かなければいけないのは情けない、
でもほとんどのお客さんは快く教えてくれる、
客の方も道を自分で選べるので悪くないのだ、

ただし道を知らないからタクシーに乗るお客さんも居る、
そんなときはお手上げだ、どっちも知らないのでは走れない。

あるときは道を聞きながら目的地に着いたのはいいけれど、
空車になって帰り道がわからない
人に聞くのも格好悪いし深夜の田舎道は人影も無い、
それで逆の方向に走っていたらしい

なぜ解ったかと言うと福岡市のタクシーが空車で前から後ろへ走り抜けたから、
そうか、あっちが帰り道だなとUターンした、
そして無事戻ることが出来た。

この仕事の良いところは誰に使われているのでもない自由気ままだ、
もちろん個人タクシーでは無いから会社に雇われてはいるが、
実質的には会社から車を借りて営業しているわけだ


最初の頃は張り切っていた、
福岡の市街中心地へ行くと夕方のラッシュ時刻に空車では戻れない、
無駄な時間の消費になるから、
それで博多駅南地区を流せば東中洲に出勤するホステスさんを乗せる、
そして中洲に降ろしたら元のところにトンボ返り、
1時間に4回やると結構な収入になる、
ラッシュも過ぎて自宅まで急ぎ帰り、
そそくさと食事して今度は中洲方面に飲みに行くお客さんを乗せる、
それを数回繰り返し次は中州の橋の上で客待ち駐車違法だがみんなやってる、
ついていれば遠距離のお客さんを乗せられる。

必ずしも長距離のお客さんがいいとは限らない、
近くても回数が多ければ料金は遠距離に匹敵する、
要するに運が有るか無いかだが、
いつも売り上げの上位にある人は新人りとどこかが違うのだろう、
努力以外のところで、例えば失礼な言葉だがカスを掴まない、
瞬間でこの人は良いと判断する能力があるようだ、
ポイント、コース、すべてに精通している。

他の業界、職種を問わず、この仕事をするために生まれてきたと思える人も居る。
私など「今日はついてないから店じまいしよう」と思うときが再々ある、
どうにもならない酔っ払いを乗せたり、
乗せようとしたところを他のタクシーに攫われたり、
料金支払いの際トラブルが起きて自己嫌悪に落ちたり、
トラブルについては具体的に言うと遠回りしたとか
文句言われるぐらいならいい、支払いを拒否する、
悪質なのは警察に連れて行けばよいがその時間が惜しい、
稼げる時間帯はなおさらだ、営業は時間との戦いでもあるので。






青年から壮年へ

壮年時代へつつく