タクシー乗務の話を続けます。
ある時、西鉄駅前の狭い道を徐行して通過していたら、
左側にずらりと駐車している車の1台が出かかった、
当然こちらに優先権があるし、その車も停止したので、
通常のごとく通り過ぎた。

ところが相手が悪かった、バックミラーで見ると明らかにやーさんの車、
形相すさまじく私の営業者を追いかけてくる、
逃げるにしかずとばかり曲がりくねった道をスピードをあげて走り抜けたのだが、
広い直線道路に出た途端、右側から急接近して前方をふさがれた。

やむなく停車したら、大型の黒い車から凄い剣幕でお兄さんが降りてきた、
開けた運転席の窓に手をかけて右手にはやや大きめのスパナを握っている、
此の場合、恐れおののき這いつくがって許しを乞うか、
あるいは定められた危機信号を無線で発信するかだが何故かちっとも怖くないのだ。

私が平然としているので彼はますますいきり立ち、
「おまえを仕事できないようにしてやるぞ」と言う
何のことか分からなかった、
あとで考えたら腕をへし折ってやると言ったんだなと解った。
でも、
何を言っても脅かしてもこいつ効き目が無いと思ったのか、
「もう行っていい、行け!」と言い出した、
しかし、それでは理屈が通らない、
先刻、先に行ったからこそ追いかけてきて此のありさまだ、
「どうぞあなた先に行ってください」と言った、
また彼は怒り出した、先に行け、行かぬ、の言い合いになった。

こちらが正論だが彼の言うことも聞かずばなるまい、
それではと私は走り出した、まだ仕事中だしこんなことをしていられない。
あれは多分組長の若親分だったろう、美人を横に乗せていた、
彼女に威勢のいいところを見せたかったのだろう。


次の相手はほんものの組長だった、肝の太い私でもこれにはびびった。
片側1車線の広くも無い交差点を青信号で発進したら、
後ろから猛スピードで外車が追い抜いた、
外車の右後部が私の営業者の左前部に接触しガツンと衝撃を受けた、
知らぬ顔で走り去ろうとしている前方の車に、
私はクラクションを鳴らし続けた。

やがて降りてきた男を見て私も降りて路上で向かい合ったが、
獰猛な顔つき、がっちりした体躯、大声で喚き続け、どちらが被害者かわからない。
こちらの接触箇所を見つめ、「何だ!なんともなっていないじゃあないか」と、
捨て台詞を残し走り去った。

帰社して、車庫に入り確かめたら案の定、破損している、
自分で応急修理をしてまた仕事だ。

いい時もある、博多駅から飛び切りの美女それも4人乗せた時、
助手席の彼女、後部座席に
話しかけるとき私の顔まじか、えもいわれぬ香りを発散する、
それもそのはず彼女たちは大手門の資生堂博多支店で降りた。
キャンペーンガール達だったのだ。兜率天に遊んだ。


次は夜も更けて、天神から乗せたのが少女ひとり、
どうやら家出娘らしい、よほどいやな事があったらしい、
まるで自棄のやんぱち、「運転手さんどこかいいところへ連れてって」と、
行く先も言わない、
どうしょうか親不孝通りにでも行って降ろしてやるかと考えたが、
ポツンと1軒だけ明るい灯の灯る喫茶店の前に停めて、
「お嬢さんここがいいよ」と言った、「そう」と、あまり気乗りしないようだったが、
「店の奥にもひとつ面白い所があるそうだよ」と言ったら降りて店に入った。

あれでよかったのだろうか自問自答したが別に危険な店ではないし再び天神へ向かった。

自宅に戻るホステスさんも深夜よく乗せる、着いてから部屋にどうしても上がれと言う、
ためらいつつ上がったがもし美人局だったら面倒なので早々にひきあげた、
なんだか惜しい気もするが、君子、危ふきに近寄らずだ。
格好よく言えば桃下冠を正さず。


概して女性の乗客は心配ない、
男性客それも若いやつには気をつけなければならない、
かなりの距離を乗車し、目的地に着いたら、
「ちょっと待ってくれ金を取ってくるから」と言う、
お客を信用して降ろしてやったらいつまで待っても戻って来ない、
やられたと思って悔やんでも後の祭り、ひとは信じられない。


その日の営業を終了した時、会社に、乗り逃げされたと言っても、
「警察に行って被害届を貰って来い」
と言われる、売上金を自分の懐に入れたと疑われるのだ。
それから再び乗り逃げされ、近くの交番に訴えたが、
警官もそんな事には相手になってくれない、そそくさと巡回に行ってしまった。

女性も100%信頼できない、ある時お金の持ち合わせが無いからと言って、
腕時計を預けると言う、
了承したら、預り証を書いてくれと言うので何気なしに書いて渡した。

罠にはまったのだ、その後
2年余り経ってから、その女、会社に現われ、
「乗車賃を払うから時計を返してくれ」と言う、
時計があればいいのだが何故か会社に無かった、
「あれは金時計だ」と高額の返済金を要求、

落ちていても誰も拾わないようなボロ時計だったが、
品物が無いし証文があるから要求金額を払わないわけにはいかない、
あの時は会社に迷惑をかけた。

失敗談が愚痴っぽくなってきたので明るい話題にシフトする、
楽しくて人に感謝されてお金になる、
なんて仕事は何処にもない、やがて招待されると期待してる天国ならいざ知らず。

空に近いと言えば背振山の頂上にあるパラボナアンテナ、
2年に1回ぐらい点検修理する、その技術者を乗せて延べ10回あまり頂上まで登った。
到着地は福岡市街全体はおろか海のほうまで見渡せる、
さらに反対側の佐賀も見渡せるのだからまさに雲上の世界、
いうまでもなく料金はたっぷり、しかし冬の積雪期はひとつ間違えば崖の下へ、
でもそこはプロの腕前、危険は無かった。

佐世保にドライブ、恋人とではなくお客さんを乗せてだが、
幼児とその若いお母さん、こんなうまい話は、やはり滅多に無い、
お互いにやや緊張してあまり話題も無く、問題も無く佐世保に1時間あまりで着いた。

帰途に着いたら佐世保のタクシーが空車であとを付けてくる、
送り狼だ、好意か悪意か分からない、
福岡のタクシー、もし帰り道に迷ったら教えてやるつもりか、
或いは他県で客を乗せるのは違反だから監視していたのか、
そのうち見えなくなった。

祇園町で乗せた若い女性は明らかにホステスさんだった垢抜けしている、
佐賀へ行ってくれと言う、佐賀県の佐賀ですかと聞きなおした、
そうだと言う、どの道を通って行きますかと聞いたら、
近い道をと言われて、はたと困った、
頭の中で地図を描き距離的には三瀬峠を越えて行ったほうが近いので、
山道だがそちらをお望みかと西へ向けて走り出した。
ところが通常、福岡市内から佐賀方面には鳥栖経由が当然なのだ、
この運転手さん変な所へ連れてゆくこれは危ないと考えたかどうか知らない。

が「他のタクシーに乗り換えるから停めて」と、
こちらの説明も聞かず、さっさと降りて乗り換えてしまった。

逃がした魚は大きい、祐徳稲荷までのお客さんだった、
鳥栖バイパスを走れば何のことは無いのに。

でもそれから1年ぐらいあと、忌まわしい事件が起きた。
天神から個人タクシーに乗ったらしい女のお客さんが、
佐賀越えの山道で遺棄死体で見つかったのだ、
私が以前乗せたお客さんも本能的に危険を感じたのだろう峠越えは気持ち悪いと。

あの事件はとうとう迷宮入り。
警察も必死になって捜査していたようだ、福岡全域のタクシー運転手を調べたらしい、
数ヶ月してから私のところにも刑事が2人来た、
事件当日、私は非番で関係ないのに、
それでも確認のためだろうご苦労さんな事だ。

壮年時代

壮年から老年に続く